地下に続く貝殻の回廊。誰が、何のために作ったのか

貝殻の模様で覆われたシェル・グロットのドーム 世界の不思議
写真:Alby/出典/CC0 1.0。縮小。
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壁も、天井も、貝殻で覆われている。細い通路の先では、小さな貝が花のように開き、曲線を描き、丸い天井へ続いていく。

イギリスの海辺の町マーゲートに、こんな地下空間があります。「シェル・グロット」と呼ばれる、貝殻の装飾で埋め尽くされた洞室です。

見どころは、装飾の見事さだけではありません。これだけのものを、誰が、何のために作ったのか。施設の公式案内にも、その答えは示されていません。

古代の神殿だったのか、裕福な人の楽しみだったのか。壁をよく見ると、謎を深める模様と、別の時代を思わせる形が、同じ空間に並んでいます。

子どもたちが先に知っていた?

「グロット」は、人工の洞窟や洞室を指す言葉です。ここの入り口からは、白い石灰質の岩盤を削った階段が、地下へ続いています。

文化財を調べる公的機関ヒストリック・イングランドの指定記録では、1835年、教師と息子たちが庭を掘っていて発見したとされています。

ところが、施設が紹介する別の話を読むと、発見の場面は少し変わってきます。

教師の娘フランシス・ニューラヴは、1893年のインタビューで、兄は地下の場所が世間に知られる前からそこを知っていたが、父親には話せなかった、と語りました。通路の端の崩れやすい岩を取り除き、開いた穴から中へ入った。自分や、ほかの少女たちも入り、灯りを下げて見て回ったという回想です。

さらに彼女は、正式に発見された年を1837年とも話しています。よく知られる1835年とは一致しません。

大人が偶然見つけた地下室と、その前に入り込んでいたという子どもたち。発見についてさえ、後から語られた話を一つにそろえるのは難しいのです。参考施設が紹介する発見の記録

回廊の先にある四角い部屋

地下の装飾は、貝を一面に貼っただけのものではありません。

二つの半円形の通路がドームへつながり、そこから別の通路を進むと、四角い部屋に至る。文化財の指定記録は、その部屋に日の出や月、星の模様があると説明しています。

通路には、いくつもの形に読める模様もあります。施設の案内では、同じ貝の並びにも複数の解釈ができるとしています。見た人が何を連想するかで、空間の意味も変わってしまうのでしょう。

貝殻で模様が描かれたシェル・グロットの壁
写真:Oast House Archive / The Shell Grotto/出典/CC BY-SA 2.0。JPEG変換。

地下へ進み、ドームをくぐり、奥の部屋に着く。こうした空間について、古代の神殿と見る説も唱えられました。フェニキア人に結びつける説や、ローマのミトラス神の神殿とする説まで、指定記録には挙がっています。

ただし、それらは起源をめぐる説です。部屋の模様から、どの時代に誰がここで祈ったのかを確かめた記録ではありません。参考ヒストリック・イングランドの指定記録

煉瓦と、海辺の町の流行

同じ指定記録は、もっと新しい時代にも目を向けています。アーチの一つに近代の煉瓦の痕跡があるため、19世紀初頭のものではないか、と述べているのです。

一方、同機関のマーゲートに関する調査報告には、18世紀の流行と結びつける説明があります。

18世紀半ばのイギリスでは、貝殻で飾った洞室が好まれました。調査報告は、この地下空間の貝の並べ方にも、当時の建築の装飾やアーチを思わせる形があると指摘しています。マーゲートが海辺の保養地として人を集めていた時代です。

地中の神殿だと思って見ていた模様が、別の資料では、海辺で楽しむ装飾の流行に近づいてくる。

それでも、裕福な人が趣味で作ったと決まったわけではありません。施設側は、ここが大きな屋敷の敷地だったとは知られていないことや、富を誇る飾りなら、なぜ地下へ隠すように作ったのかという疑問を紹介しています。

18世紀か、19世紀か。それ以前なのか。公的な資料の説明にも幅があり、一つの説だけで作者と用途まで埋めることはできません。参考町の歴史を調べた報告書

貝そのものを年代測定する方法はどうでしょう。施設によると、後の修復に使われた貝を測る可能性を避けるためには、複数の試料が必要だと専門家から助言を受けています。費用もかかり、今はより差し迫った保存作業が優先されています。

貝を壁に留める材料にも、後の手入れの跡がありそうです。施設の調査では、採取したモルタルの試料がそれぞれ異なっていました。何度か修理が重ねられた可能性があり、一つの部分だけで空間全体の年代を決めるのは難しいのです。参考施設の保存・調査についての説明

黒い貝の下にある色

地下の壁は、明るい貝細工の箱のようには見えません。写真には、暗く沈んだ貝の模様が写っています。

この色にも、時間の手がかりがあります。施設の説明によると、グロットでは長い間ガス灯が使われ、その煤が貝の表面を覆いました。現在の暗い見た目を、そのまま作られたときの姿だと思うことはできないのです。

施設は、もとの色の鮮やかさを伝えるために作った装飾パネルも紹介しています。そこに並ぶのは、近くの海岸でも見つかる種類の貝。遠い土地から来た秘密の材料を思い浮かべていた人には、少し意外な説明かもしれません。参考施設の見学案内

誰が最初に貝を貼ったのか分からない一方、後の時代にここを照らし、見て回った人々の痕跡は、貝の表面にも重なっています。

名前の残る、いまの手仕事

失われた装飾を補う仕事も続いています。

施設が紹介する修復では、保存修復の専門家ロブ・スミスが、20世紀初頭の写真を参考に、欠けた貝の装飾を作っています。貝を選び、古い写真の図柄に合わせ、周囲となじむよう色を調整する。新しい部分も、この地下空間に残していく仕事です。参考施設の修復事業

最初の作り手の名前は、まだ分かりません。その壁に、いまは作業の記録とともに、新しい貝の輪が加わっています。