出迎えのない灯台。島から消えた三人の番人

海から望むフラナン諸島のアイリーン・モア島 世界の不思議
写真:Chris Downer / Flannan Isles: approaching Eilean Mòr/出典/CC BY-SA 2.0。JPEG変換。
もっと自然な音声で聴くには

お使いのブラウザーに備わっている読み上げ機能もご利用いただけます。

iPhone・iPad:Safari

  1. Safariでこの記事を開きます。
  2. アドレス欄の左端にあるページメニューボタンをタップします。
  3. 「ページの読み上げを聞く」を選びます。

Safariの公式手順

Android:Chrome

  1. Chromeでこの記事を開きます。
  2. 右上の「︙」メニューを開き、「このページを読み上げ」を選びます。
  3. 再生画面で声や速度を調整できます。再生モードが表示される場合は、「標準の再生」を選ぶと記事の全文を聴けます。

項目が表示されない場合は、Chromeの公式ヘルプで利用条件をご確認ください。

PC:Microsoft Edge

  1. Microsoft Edgeでこの記事を開きます。
  2. 記事本文の上で右クリックし、「音声で読み上げる」を選びます。
  3. 画面上部の「音声オプション」で、声や速度を変更できます。

Windowsでは、Ctrl+Shift+Uでも読み上げを開始・停止できます。Edgeの公式手順

メニュー名や利用できる機能は、ブラウザーのバージョンやページによって異なる場合があります。

1900年12月26日、スコットランド沖の小さな島に、灯台の交代船が近づいていました。

いつもなら、島にいる番人たちが船を迎える支度をしています。ところが、この日は人影が見えません。船が汽笛を鳴らしても、信号弾を上げても、返事はありませんでした。

交代のために乗っていたジョセフ・ムーアは、小舟で島へ渡ります。灯台へ向かう門は閉じていました。その先の建物を調べても、番人たちの姿はありません。

島に残るはずだった三人は、どこへ行ったのでしょうか。

返事のない島

フラナン諸島は、スコットランド西方の海に浮かぶ島々です。その一つ、アイリーン・モア島には、船に危険な岩場を知らせる灯台がありました。

当時は人が島に滞在し、灯火の手入れをしていました。番人たちは交代で勤め、船が食料などを運んできます。ムーアもその一員で、この日は岸にいる期間を終え、島の仲間と交代するために来たのです。

島にいたのは、主任のジェームズ・デュカット、助手のトーマス・マーシャル、そして病欠の番人に代わって勤務していたドナルド・マッカーサーの三人でした。

ムーアは後の報告で、門を通り、台所につながる建物へ入ったときの様子を記しています。暖炉には何日も火をたいた形跡がなく、寝室を順にのぞいても、ベッドは空でした。

異変を感じたムーアは船へ戻り、仲間に知らせます。一緒に調べた人たちも、やはり誰も見つけられませんでした。

朝の仕事は終わっていた

人はいなくなっていましたが、灯台の仕事の痕跡は残っていました。

灯具は掃除され、燃料を入れる部分も満たされていた。次に明かりをともすための支度は整っています。鍋やフライパンは洗われ、台所も片づけられていました。

番人たちが日々の状況を書き込む記録帳は、12月13日で終わっていました。一方、あとで帳面に書き写すための黒板には、14日の様子と、15日の朝に灯りを消した時刻、午前9時の気圧や風向きなどが残されていたといいます。

最後の日にも、いつもの朝の仕事があった。その先に何があったのかは、書かれていません。

実は15日の夜、島の近くを通った船が、灯台の明かりが見えなかったことを入港後に報告していました。スコットランド国立公文書館によれば、その報告は灯台を管理する委員会には伝わらなかったそうです。三人の不在が分かったのは、26日の交代船の訪問によってでした。

なぜ、それまで誰も気づかなかったのでしょう。国立公文書館の担当者は、当時の番人が岸と常に連絡を取れる状況ではなく、悪天候で郵便や交代船が遅れることもあったと説明しています。岸から灯りを見張る人はいましたが、天候によって数夜続けて見えないこともあったそうです。

ただ、見えない期間が長くなれば不安は募ります。調査報告では、船からの知らせが管理側に伝わらなかったことを含め、連絡の仕組みも検討されました。

西の揚陸場に残ったもの

失踪が分かった後、灯台の管理官ロバート・ミュアヘッドが島を調べました。灯台のある高台から海辺へ向かうと、船の荷物を上げ下ろしする揚陸場があります。島の西側にあるその場所には、荒れた海の力を思わせる跡が残っていました。

クレーンの周囲や通路の鉄柵は、曲がったり、位置がずれたりしていた。係留用のロープなどを収めた箱は元の場所になく、ロープなどが散らばっていました。柵に取り付けられていた救命浮輪も見当たりません。

灯台の建物は整っている。それに対して、西側の揚陸場はひどく傷んでいる。高い場所に残されたその差が、調査の手がかりになりました。

海から見たフラナン諸島の灯台と揚陸場へ続く斜面
写真:Chris Downer / Flannan Isles: the lighthouse from the sea to the south/出典/CC BY-SA 2.0。JPEG変換。

ミュアヘッドは、三人が揚陸場の設備を確かめるか、ロープを守るために外へ出て、予想を超える大波にさらわれた可能性が高いと考えました。残されていた仕事の様子から、出来事は15日の午後だったのではないか、とも推定しています。

ただし、三人が実際にどの順番で外へ出たのか、その場で何をしようとしたのかを見た人はいません。大波の話は、現場の状態などから導かれた調査官の推定です。

食卓に残された話

この出来事には、その後、さまざまな細部がついて回るようになりました。食べかけの食事が食卓に残り、番人たちは何かに驚いて席を立った、という話もその一つです。

ところが、公式の調査報告は、鍋が洗われ、台所が片づいていたと記しています。何かが起きたとしても、それが食事の最中だったとは、この報告からは言えません。

一方で、食べかけの食事に触れた話は、失踪が報じられた直後の新聞にも載っていました。後年の詩や怪談だけから生まれたと決めつけるのも難しそうです。初期の報道と調査記録を比べると、同じ島の出来事にも食い違いがあることが分かります。

止まった時計も、よく語られるものの一つです。こちらはミュアヘッドの報告の転記に登場します。ただ、時計が止まっていたことだけで、三人が姿を消した時刻まで分かるわけではありません。

その夜の灯り

三人を探す一方で、灯台の明かりを戻す必要がありました。

交代員のムーアは、船に乗っていた三人の協力者とともに島に残ります。仲間の姿が見つからないまま、海を行く船のための仕事は続きました。

12月26日の夜、灯台には再び明かりがともります。

三人が最後に何を見て、どこにいたのかは、今も分かっていません。残された記録には、片づいた台所も、荒れた揚陸場も、そして灯りを絶やさないために島に残った人たちのことも書かれています。

参考:参考スコットランド国立公文書館の解説 / 参考当時の報告書・証言などの転記集