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紙の小舟が、沈みません。
水を含んで底へ向かうはずが、その一艘は池の向こうへ流れていき、岸から垂れた枝に引っかかる。木が壁のように立ち並び、人が近づけない側でした。
島根県松江市の八重垣神社(やえがきじんじゃ)を訪れた作家ラフカディオ・ハーン、後の小泉八雲(こいずみやくも)が、文章に残した舟です。1894年刊の『知られぬ日本の面影』に収められた「八重垣神社」の章で、八雲は森の池の縁占いを紹介しています。
八雲は、その舟を出した恋する人は、きっと悲しい気持ちで帰ったのだろうと想像しました。ただ、その人と話したとは書いていません。舟が引っかかった先に、どんな恋があったかは分からないままです。
そして当時の説明では、舟が沈んだところで占いは終わりませんでした。そこで待っているのは、池にすむイモリです。
紙が沈むまでの縁占い
八重垣神社の奥、佐久佐女(さくさめ)の森に、鏡の池があります。神社の伝承では、八岐大蛇(やまたのおろち)から身を隠した稲田姫(いなたひめ)が水を飲み、自分の姿を映した池とされています。
大蛇を退治する素盞嗚尊(すさのおのみこと)が姫を守ったという森。その中の池で、今はご縁の行方を占います。

神社の公式案内では、占い用紙を水に浮かべ、10円か100円の硬貨をそっと載せます。早く沈めば縁が早く、遅く沈めば縁が遅い。近くで沈むと身近な人、遠くなら遠方の人との縁を示すと伝えられています。
相手を知るために、紙の行方を見る。恋愛や結婚に限らず、さまざまな縁や願い事を占え、誰かを思いながら代理で行うこともできると、神社は説明しています。八重垣神社の公式案内
紙と硬貨だけなら、手のひらに収まるほどのものです。それを池へ離すと、浮かんでいる場所も沈む時も、手元では決められなくなる。その動きを答えとして受け取る占いが、この森で行われています。
トラベルjpの短い現地映像です。木々を映す水面と、硬貨を載せた占い用紙を間近に見られます。
八雲の記録にも、小さな紙の舟と銅貨が出てきます。けれど、そこで恋する人が見つめていたものは、今の公式案内とは少し違っていました。
沈んでからが、占いだった
八雲が描く森では、杉や松に竹が交じり、日なたから入ったばかりの目には、辺りが黒く感じられるほどです。目が慣れるにつれて、苔に覆われた道が見えてくる。その道が森の中の小さな池へ下っていきます。
池の水は澄んでおり、赤い腹のイモリがたくさんいたと、八雲は書きました。
恋する人たちは紙で小舟を作り、1厘の銅貨を載せて浮かべる。紙が水を吸うと中へ水が入り、銅貨の重みで舟が沈みます。それでも水が澄んでいるので、沈んだ舟は見えていたといいます。
そこで、イモリが寄ってきて触れると吉兆。近づかなければ、よくない兆しと受け取られました。沈むのを見届けたあとも、その小さな生き物の動きに目を凝らしていたのです。
現在の神社の公式案内が示すのは、沈む時間と場所。八雲が文章に残したのは、沈んだあとに寄ってくるイモリでした。松江市も「鏡の池」の縁占いの今昔を紹介する中で、この違いを取り上げています。松江市「『鏡の池』の縁占い今昔」
一方、島根県の神社取材では、今もイモリが占い用紙に触れたり引いたりすると、吉兆といわれていると紹介されています。神社の公式案内と八雲の記録には説明の違いがありますが、イモリに縁の兆しを見る話も、現在まで伝わっています。島根県公式観光サイトの神社取材
ただ、沈まない舟もありました。冒頭の一艘です。
底へ届いてイモリを待つはずが、枝に引っかかっている。八雲は、その小さな舟にも目を留めました。
竹に刻むのは、相手の名前
池の周りで八雲の目を引いたのは、水中のイモリだけではありません。竹の幹にも、恋の願いが残されていました。
相手の名前や、縁を結んでほしいという言葉が刻まれている。ところが、彼が見た範囲では、男女二人の名前を並べたものがなかったといいます。
誰を思っているかは書くのに、自分が誰かは明かさない。八雲は、一方の名前だけを書き、もう一方は神々にそっと伝えるような願い方を紹介しています。自分の名の代わりに、年齢を添えたものもありました。
原文に挙がる一例は、相手との縁結びを願う言葉に、「十八歳の男」と添えたものです。相手を指し示す名前と、書いた人の年齢。そこまでしか分からないのに、単に「縁結びを願う人々」と聞くときより、一人分の願いとして読めてきます。
自分の名も並べれば、二人の名が残る。それをせず、相手の名と自分の年齢だけを森に置いていく。八雲は、こうした記し方に、恋する人の秘密めいた願い方を見ています。
竹への刻字は、八雲の文章に登場する当時の行為です。今の参拝では木や竹を傷つけず、神社が案内する用紙の占いで縁をたずねます。
出雲の神々に、英語で
幹に残された願いの中で、八雲が驚いた一つは、英語で書かれていました。
I wish You, Haru!
「ハル、あなたを求めています」とでもいうような言葉です。八雲の記述では、それが繰り返し刻まれていました。
出雲の森で、神々へ向けた願いを、英語で残す。八雲は、恥ずかしがり屋の学生が、外国語なら秘密を隠せると思ったのではないか、と想像します。そして、まさか外国人の目に留まるとは考えなかったのだろう、と。
外国語で残した願いを、その言葉が読める作家が見つけた。八雲の文章には、その出会いも残りました。池の向こうでは紙舟が枝に引っかかり、森の竹には、ハルを求める英語が繰り返し刻まれています。
出典:小泉八雲(Lafcadio Hearn)『Glimpses of Unfamiliar Japan: First Series』第14章「Yaegaki-Jinja」、特に第5節。本文中の八雲の記述は英語原文をもとに紹介しています。


