マヤの暦、同じ日付まで52年

ツォルキンの260日を73周、ハアブの365日を52周すると、18,980日で重なることを示す図 星・運命・魂
もっと自然な音声で聴くには

お使いのブラウザーに備わっている読み上げ機能もご利用いただけます。

iPhone・iPad:Safari

  1. Safariでこの記事を開きます。
  2. アドレス欄の左端にあるページメニューボタンをタップします。
  3. 「ページの読み上げを聞く」を選びます。

Safariの公式手順

Android:Chrome

  1. Chromeでこの記事を開きます。
  2. 右上の「︙」メニューを開き、「このページを読み上げ」を選びます。
  3. 再生画面で声や速度を調整できます。再生モードが表示される場合は、「標準の再生」を選ぶと記事の全文を聴けます。

項目が表示されない場合は、Chromeの公式ヘルプで利用条件をご確認ください。

PC:Microsoft Edge

  1. Microsoft Edgeでこの記事を開きます。
  2. 記事本文の上で右クリックし、「音声で読み上げる」を選びます。
  3. 画面上部の「音声オプション」で、声や速度を変更できます。

Windowsでは、Ctrl+Shift+Uでも読み上げを開始・停止できます。Edgeの公式手順

メニュー名や利用できる機能は、ブラウザーのバージョンやページによって異なる場合があります。

生まれた日と同じ日付が、次にめぐってくるのは52年後。毎年の誕生日とはずいぶん違うが、マヤの二つの暦を重ねると、そんな長さの周期が生まれる。

260日の「ツォルキン」と365日の「ハアブ」。両方の日付がそろって元へ戻るまで、18,980日かかる。365日のハアブで52年分であり、うるう日を含む現在の暦の52年間とは少し違う。

教える側になるころ

スミソニアン国立アメリカ・インディアン博物館の教材で、ユカテク・マヤの考古学者ホセ・ウチムは、この52年の周期について語っている。年長者から聞いたのは、知識や経験、次の世代に教える力との結びつきだったという。

一巡するころには、人も同じ場所にはいない。子どもだった人が、仕事を覚え、人との別れを経験し、若い人に何かを伝える側になる。その変化と日付の巡りを重ねると、52年は単なる暦の計算とは違う厚みを持つ。

ウチムは、いまも地域のマヤの共同体に続く考え方だと語る。暦の大きな周期を、人が成熟し、教える力を持つ時間として受け止めている。

二つの暦で数える一日

マヤで使われてきた暦の一つに、20の日の名と13の数字を組み合わせる、260日周期の聖なる暦「ツォルキン」がある。もう一つは、太陽の一年に近い365日の「ハアブ」だ。こちらは20日からなる18の月と、最後の5日で成り立っている。

ある一日には、ツォルキンでの名と数字、ハアブでの月と日が付く。私たちが「何月何日、何曜日」と見るときのように、一日を複数の数え方で表している。

ただし、二つの周期の長さは大きく違う。260日たってツォルキンが同じ日へ戻っても、ハアブのほうはまだ一巡していない。365日でハアブが戻ったときには、今度はツォルキンが別の位置まで進んでいる。

18,980日で重なる輪

この違う長さの二つの暦が、なぜ52年でそろうのだろう。

計算すると、260日を73回、365日を52回重ねたところで同じ長さになる。

260 × 73 = 18,980日

365 × 52 = 18,980日

これがカレンダー・ラウンドの一巡である。二つの輪を思い浮かべるなら、片方が73周、もう片方が52周したところで、最初と同じ目印が並ぶ。ここでいう52年は、365日のハアブを52回数えた長さだ。うるう日を入れる現在の暦の52年間とは、ぴったり一致しない。

ツォルキンだけなら、同じ日付は260日ごとに戻る。そこへハアブの日付もそろえると、待つ時間は人の一生に重なるほど長くなる。

巡る日付、積み重なる日数

一方、この仕組みだけでは、52年を隔てた二つの出来事に、同じ日付が付いてしまう。遠い過去の出来事を区別するには、別の数え方が要る。

マヤには、そのために長い時間を日数で数える「長期暦(ちょうきれき)」もあった。カレンダー・ラウンドが日付の巡りを示すのに対し、長期暦は、その出来事が長い時間のどこにあるかを記す手がかりになる。

屋根の下に保存されたキリグアの石碑Cと、石に刻まれた文様
グアテマラ・キリグアの石碑C。マヤには長い日数を記す長期暦もあった。 写真・資料:Renata Avila / Wikimedia Commons(CC BY 2.0、縮小して掲載)

ウチムが語るように52年を教える力と結びつけて見るなら、二度目の同じ日付には、最初のときには持っていなかったものがある。年長者から聞いた話を、今度は若い人へ話す側になっているかもしれない。

この記事の参考資料