燃えた木の劇場と、コンクリートのゲーテアヌム

青空の下に立つ、折れた壁面と大きな屋根を持つ第二ゲーテアヌムの正面 世界の不思議
第二ゲーテアヌム。撮影:Roland Halfen/Rudolf Steiner Archiv(自由利用の公開資料)。
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二つの丸い屋根が、肩を寄せるように重なっている。古い写真には、大きさの違うドームを組み合わせた建物が残っています。

同じ場所に今立つ建物を見ると、印象は大きく変わります。灰色のコンクリートの壁が折れ曲がり、窓も庇(ひさし)も、四角い箱へ素直には収まりません。二つのドームを探しても、見つからない。

どちらも、スイスのドルナッハに建てられた「ゲーテアヌム」です。思想家ルドルフ・シュタイナーが構想した、演劇や講演、芸術活動のための場所でした。

最初の木造建築は、1922年の大晦日から翌年にかけての火災で失われました。彼が次に示したのは、焼ける前の姿を戻す設計とは大きく異なる建物です。

これほど姿の違う二つの建物に、何が受け継がれているのでしょうか。

大きさの違う二つのドームが重なる第一ゲーテアヌムの空撮
第一ゲーテアヌムの空撮。撮影者不詳。出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン表示)。

劇を上演する場所が欲しかった

シュタイナーは「人智学(じんちがく)」という思想を展開した人物です。人間と世界の精神的な関係を探究し、その考えを教育や農業、芸術などへ広げました。建築も、その活動の一つでした。

ゲーテアヌムの始まりには、劇を上演するための場所を求める動きがあります。シュタイナー自身が書いた、精神的な探究を主題とする「神秘劇」です。1910年から1913年にかけてミュンヘンで上演され、そのための専用の建物が構想されました。

計画はミュンヘンでは実現せず、寄贈された土地のあるドルナッハへ移ります。バーゼルに近い、スイスの町です。1913年に建設が始まりました。参考第一・第二ゲーテアヌムの建築解説

建物の名には、詩人ゲーテへの思いが込められています。ゲーテは文学作品に加え、植物や色などの自然研究も残しました。シュタイナーは、その世界の捉え方から自分の思想が育ったと語り、名前を感謝と敬意の表明として説明しています。参考1923年4月9日、本人による名前の説明

演劇を入れるための器にも、世界をどう見るかという考えを通わせたい。その試みが、二つのドームを持つ木造建築になりました。

同じ形の柱を、並べない

第一ゲーテアヌムの平面には、大きさの違う二つの円形の空間が組み合わされています。その上に、それぞれのドームが載る。外からは二つの建物が重なったようにも見えますが、内部では一つの空間につながっていました。

柱にも、独特の考え方がありました。

同じ装飾の柱を繰り返し並べる代わりに、一つ前の柱の形を受け継ぎながら、次の柱では形を変えていく。柱の根元や上部の彫刻に、連続しながら違っていく関係が作られています。

ここで手がかりになったのが、ゲーテの「メタモルフォーゼ」、形の変化を通して生きものを捉える考えでした。建物の中でも、形が次の形へ移っていくようにしたのです。

一本の柱を見て、それから隣を見る。その間に、何が受け継がれ、何が変わるのか。見る人がたどる順番にも関わる造形でした。

1914年6月16日に撮られた写真には、第一ゲーテアヌムの模型と、そのそばに立つシュタイナーが写っています。模型の入口前には小さな人型が置かれ、本人の姿と比べると、建物を考えるために作った模型の大きさも伝わってきます。紙へ輪郭を描くだけでなく、立体の形を作り、確かめる仕事もしていたのです。参考模型と本人の写真

第一ゲーテアヌムの大きな模型と、その左に立つシュタイナー
第一ゲーテアヌムの模型とシュタイナー。1914年6月16日、Otto Rietmann撮影/Rudolf Steiner Archiv(自由利用の公開資料)。

舞台では演劇や音楽に加え、言葉や音楽を身体の動きで表す「オイリュトミー」も行われます。建築、彫刻、絵、色ガラスの窓と、舞台に立つ人の動き。そのすべてが関わる場所として構想されました。

大晦日に失われた建物

公式の案内によれば、第一ゲーテアヌムは1920年に開館しました。建設や整備が続く中、1922年12月31日に火災が起き、翌年へかけて建物は焼失します。

柱の彫刻や天井の絵がある木の空間は、失われました。今、その姿を知る手がかりになるのは、写真や模型、図面、残された部材などです。

スイス建築博物館が2012年に開いた展覧会は、焼け跡の写真から始まり、完成へ向かう時間を逆にたどる構成でした。建築の過程をさかのぼり、最後には、まだ形になっていないミュンヘン時代の計画へ戻っていく。

失われた建物にも、作られる前に人々が思い描いていた時間があります。ゲーテアヌムを残された写真だけで見るとき、その設計図や作業の記録は、完成写真に収まらない営みを伝えます。参考スイス建築博物館の展覧会記録

シュタイナー自身も、火災の数か月後に建物について講演しています。1923年4月の冒頭には、あの場所を愛した人々にとっての痛みを述べたうえで、そこで何を行おうとしていたのかを説明する言葉が残っています。

次の模型は、大きく姿を変えた

1924年3月、シュタイナーは第二ゲーテアヌムの外形を示す模型を作りました。新たな建物の材料には、鉄筋コンクリートが使われます。

写真を比べると、失われた木造建築との違いは明らかです。丸い二つの屋根が並ぶ姿に代わり、壁と屋根が大きな塊として動いているような外観になりました。窓や入口の周囲も、その形の動きに参加しています。

スイス人智学協会の建築解説は、第一では個々の形に生きた動きを与えようとしたのに対し、第二では建物全体へその動きが及んだと説明しています。

例に挙げているのは、建物の東西の違いです。東側は閉じた立方体に近い印象を持ち、西へ向かうと形が次第に動的になる。内に閉じるものと、外へ開くものが、一つの建物の中で関係すると読んでいます。これは、建物をどう解釈するかという当事者側の説明です。

正面を写した写真でも、大きな屋根の下で壁面がいくつもの面に折れ、窓と入口の周囲が斜めに広がっている様子が分かります。窓や入口の形も、周囲の折れた壁面と一緒に変わっています。第一では柱の装飾などに表れていた形の変化を、建物の外側まで広げて考える手がかりになります。

二つの建物を見比べると、形を変えながら同じ探究を続けたのだと読むことができます。柱から次の柱へと移っていた形の動きが、第二では大きな壁や屋根まで広がっている。外観の違いの中に、受け継がれた考えも見えます。

シュタイナーは1925年に亡くなり、第二の建物の開館を見ることはできませんでした。模型をもとに実際の建物へ進める仕事は、他の人々に引き継がれました。建物そのものを彫刻のように扱うコンクリートの造形は、後に建築史の中でも注目されました。参考Vitra Design Museumの展覧会解説

開館してからも、作り続ける

第二ゲーテアヌムは1928年に開館します。ただし、その時点で今の内装がすべて出来上がっていたわけではありません。

公式の建築史には、1930年の階段や西入口、その後の各ホールの整備、1990年代の大ホールの改修までが記されています。1928年に開いた建物へ、長い時間をかけて内部が加わっていきました。

このため、現在の内部を見て、すべてをシュタイナー本人が完成させたものと思うと、時間の積み重なりを取り違えます。彼の構想を受け継ぎ、異なる時期の人々が手を入れた場所なのです。

大ホールの柱や天井、色ガラスの窓には、人間と世界の生成や変化を主題とした造形が置かれています。第一の建物から受け継がれたモチーフも、第二の空間に合わせて姿を変えています。

ここでは、形の変化を語った建物そのものが、時間の中でも変わり続けてきました。参考公式案内・建築史と大ホール

火災のとき、別の工房にあったもの

第一の建物が焼けた夜、まだ別の木工工房で制作されていた大きな木彫がありました。「人類の代表」と呼ばれる作品です。

シュタイナーと、イギリスの彫刻家エディス・マリオンが共同で制作しました。人間が二つの悪の力と向き合う姿を表した、人智学の世界観に関わる彫刻です。制作場所が別だったために火災を免れ、後のゲーテアヌムへ伝わりました。

この彫刻を見ると、建物を一人の思想家の発想だけで捉えきれないことも分かります。木を彫り、形を作り、設計を受け継いだ人がいた。残ったものの中には、その仕事もあります。

第一の建物を写した写真には、もう入ることのできない空間がある。第二の建物には、その写真と違う形の壁が立っています。そして、別の工房にあった木彫が、二つの時代をまたいで残っている。

見えない世界を知ろうとした人々が、木を彫り、コンクリートを打ち、人が集まれる場所を作った。二つの建物をたどると、形になった思想と、それを作り続けた人々の時間が重なって見えてきます。

シュタイナーは、講演の言葉を黒板の図にも残しました。白い三角形から人間の認識を問い、宇宙観へと進む一枚を、「消されるはずの黒板に残った、シュタイナーの宇宙」でたどります。