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湖の真ん中には、莫大な黄金がある。水を抜いて、それを取り出したい。
そんな計画を書いた文書が、コロンビアの国立公文書館に残っています。1625年、鉱山地区に住む人々が出した、グアタビータ湖の排水許可申請です。湖は、現在の首都ボゴタの北に位置します。
申請には、自費負担や納税の申し出まで記されています。黄金の噂を信じた人々は、湖を仕事場にする許可を求めていたのです。
「エル・ドラド」といえば、どこかに隠された黄金の都を思い浮かべるかもしれません。しかし、その名に結びついてきた湖には、黄金を得ようとする計画と、黄金を水へ捧げたという記録が、重なって残っています。
自費で抜く。税も払う
申請者たちは、それまでの試みを知らなかったわけではありません。文書には、ほかの人々が何度も排水を試み、成し遂げられなかったと記されています。それでも、今度は費用と危険を自分たちで引き受け、技術と労働によって取り組みたいというのです。
もっとも、すべて自分たちの力だけで行う計画ではありませんでした。先住民の労働者の提供を求め、労賃を払うとする箇所もあります。転記には欠けた部分があり、実際にどのような条件で働かせるつもりだったのかまでは、この文書だけでは分かりません。
噂が本当なら、それを取り出して利用できる。王室にも収益が入る。申請書はそうした見込みを示し、湖と関連する水域を自分たちに認めるよう求めています。水中の黄金は、すでに事業の対象として扱われていました。
この申請が許可され、工事へ進んだかどうかは、公開されている転記からは確認できません。ただ、湖を空にするという発想が、役所に出す文書の形になっていたことは確かです。国立公文書館の転記資料
湖の水位を下げようとした別の試みについて、メトロポリタン美術館は、16世紀末に湖の一方を囲む山が大きく切られたと説明しています。湖岸からは黄金製品などが回収されたとも記されています。黄金を求める人々は、湖を囲む山そのものに手を入れていました。同館の奉納品解説
では、そもそもなぜ、この湖に黄金が沈んでいると考えられたのでしょう。
黄金の人を乗せた筏
グアタビータ湖の周辺には、ムイスカと呼ばれる先住の人々が暮らしていました。その首長の就任をめぐる儀礼が、エル・ドラドの名と結びついています。「エル・ドラド」はスペイン語で、黄金をまとった者を指す言葉です。
儀礼の様子を詳しく記した一人が、年代記作者フアン・ロドリゲス・フレイレです。17世紀の『エル・カルネロ』で、フレイレはグアタビータの首長ドン・フアンから昔の話を聞いたと述べています。1636年の日付がある章に、儀礼の記述が続きます。排水申請から11年後のこの記述を通して、湖へ黄金を捧げた儀礼を見てみます。
フレイレの記述では、継承者は裸の身体に粘りのあるものを塗られ、細かな黄金の粉を振りかけられます。黄金をまとった人物が筏(いかだ)に立ち、その足元には捧げるための黄金やエメラルドが置かれる。ほかの首長たちも、それぞれの供物を携えて同乗します。
岸を離れると、楽器が鳴り、大きな声が上がる。やがて筏が湖の中央へ達すると、旗で静粛を求める合図が送られます。
そこで、黄金をまとった人物が供物を湖へ投じる。同行した首長たちも続きます。供物を捧げ終えると旗が下ろされ、筏が岸へ向かい、再び音楽と踊りが始まる。そうして新しい首長が迎えられた、と年代記は伝えています。
これは、その日の出来事をその場で書き留めた目撃記録ではありません。後世の年代記に残された儀礼の姿です。それでも、記述を順に追うと、黄金だけを湖へ放り込んでいたのではなく、継承者を共同体の首長として迎える一連の行為だったことが見えてきます。コロンビア国立図書館公開『エル・カルネロ』第2章
水底へ渡す、小さな姿
水中へ投じられたものが、黄金の量としてしか見えなくなると、その品が何を表していたのかは後ろへ退きます。
ムイスカの奉納品には、人や動物、道具、複数の人物がいる場面など、さまざまな姿があります。たとえばメトロポリタン美術館が所蔵する蛇形の品。同館は、蛇の姿をした神話的な祖先が湖に住み、供物を求めると考えられていたと説明しています。
小さな金属の蛇の姿からは、湖の中に誰がいると考え、何を届けようとしたのかも読み取れます。蛇形の奉納品

黄金博物館の展示解説は、湖や洞窟への奉納を、世界の均衡を保つために神々へ贈り物を渡す行為として紹介しています。水や地面の向こうにも、働きかける相手がいる。金属は、職人によってその相手に渡す品へと形づくられました。黄金博物館「La Ofrenda」
もちろん、ムイスカの人々が財の蓄積や交換を知らなかった、ということではありません。共和国銀行の解説では、塩やエメラルド、織物、金属製品などが交換され、首長が危機の際に人々を支えるため物資を蓄えたことも紹介されています。共和国銀行「Muisca」
品を蓄えることも、誰かに渡すこともあった。そのうち、湖や洞窟へ渡されたものを、後から来た人々は取り出そうとしました。供物として手放された品が、別の人々には、回収すべき富と見えていたのです。
溶かさずに残す
湖の儀礼と結びつく実物として、よく知られるのが「ムイスカの筏」です。中央に大きな人物が座り、その周囲に小さな人物たちが並ぶ、精巧な金属製の奉納品。長さは約20センチです。
ただし、これはグアタビータ湖底から引き上げられたものではありません。共和国銀行の来歴解説によると、1969年、ボゴタの南にあるパスカの洞窟で、土器に納められた状態で見つかりました。儀礼を表すと解釈される品ですが、年代記にある場面の細部すべてを実証するものではありません。

Smithsonian Channelの映像では、筏の細かな人物や飾りを作る工程を実演しています。英語の解説ですが、模型を組み立てる手元や金属を鋳込む様子を目で追えます。
発見の知らせを受けた地元の司祭、ハイメ・インカピエ・サンタマリアは、以前に発見された別の筏の挿絵を示し、似た品であることを確かめたといいます。そして、密輸や溶解を防ぐために働きかけ、共和国銀行が取得して黄金博物館へ収める橋渡しをしました。所蔵機関による来歴解説
湖の水を抜こうとした申請書では、取り出される黄金の収益が数えられていました。ここで司祭が守ろうとしたのは、黄金が筏と人物の姿をしたまま残ることでした。
中央の人物の椅子、身体の飾り、端にいる小さな漕ぎ手。金属を一つに溶かせば、そのどれもがなくなります。洞窟から出てきた筏には、今もその人々が乗っています。


